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RYDEENよりご報告

昨年10月、ROCKY&TheSWEDEN新体制での初ライヴを終えた私は木更津で朝を迎えました。
その日はRYDEENはホームである”EL PUENTE”でライヴがあり、心地よい疲れと充実感の中で私は西横浜に向けハンドルを握っておりました。
するとアクアラインで東京湾を横断中に見知らぬ番号より1件のメッセージが…

「ご無沙汰してます、武久です。今日のライヴに顔出してよろしいでしょうか?」

さらに遡ること数年前…
同じ様に奴から連絡があり3回程顔を合わせ話し合ったのですが、最後の面談後に私が厳しい意見のメールを送ったところ再び連絡が取れなくなってしまっていました。
その時にはTKCとは会ったのですが、KYCは会えず終いで終わり「俺も奴に会いたっかったっス!」と私に恨み節をぶつけてきました。
その後KYCはSNSで奴の消息を追ったり問い合わせをしたりしていましたが、なんの手掛かりも得られず…
私の中ではとても悪い展開も想像して居ました。

「生きていたか…」

震える指で「待ってる!」と返信を打ちながら、自分の正直な気持ちに気付きました。
「生きててくれたか…俺は待ってたんだな、ズッと…」
奴が消えてから都合7年間、決して短くはない時間本当に色々な事がありました。
福島の”The FRIDAY”とのツアー及びSplit CDのリリース、KYCの”PUNK NINJA BRIGADE”の復活、TKC2年間の失踪、私の”ROCKY&TheSWEDEN”再始動、他にも沢山…
そんな中、殆ど前進する事ができなくなってしまったRYDEEN。
それでも頑なに解散を拒み、グダグダ言う双子をなだめすかしぶん殴りムチャクチャな状態でも継続し続けてきたのは「もしかしたら奴の帰る場所を守っていたのかもしれない…」とすら思えました。

久しぶりに会って、先ずは年頭にあったケンタツの孤独死とその顛末について話しました。
泣いていました…
そして、ライヴ本番を迎え3人でステージに立ち演奏を始めました。
いつもの1曲め”Adventure of Rydeen”「思わぬ障害、次から次へと立ちはだかるけど、3人揃えば一先ずなんとか成るだろう!」私がそう歌っている時に、バックヤードから隠れる様にこちらを見ている武久が目に入りました。
そして、私は演奏を止めました。
怪訝そうにこちらを振り返る双子をシカトし「おい!武久こっち来い!歌え!」
私はそこに奴が居るのに一緒に演れない違和感に耐え切れず、そう叫んでいました。
そして、先のストップした部分から「4人が揃えば恐れるものなど何も無い!オーレイ!」と元々の歌詞で演奏を再スタートしました。
そこから先はなんの曲をやったかも覚えていません、ただ狂った様にハッスルする双子のテンションだけは覚えています。

ステージが終わり、裏の駐車場で我々はただ言葉もなく涙を流していました。
周りに居た仲間たちも皆泣いていた様に思います。
(ただTKCだけは「あ〜泣いてる!泣いてる〜!」とクソ野郎っぷりを発揮していました。)

それから8ヶ月…
途中、ボヘミアンラプソディ事件や引越や転職がありましたが”EL PUENTE”限定で4人で演奏し、武久の様子を見てまいりました。
(ボヘミアン〜についてはココでは触れませんが、聞きたい人は私に直にw)
限定とは言っても4月末には仙台遠征に同行させました、何故ならライヴの翌日に福島による予定を入れていたからです。
あの2011年まだ混乱の中にあった仙台BIRD LANDに”RUIDOSA INMUNDICIA”と共にツアーで訪れ、被災地にも足を運びました。
そこからの、あの義援金横領事件…私はもう一度武久とここにくる必要性を感じていました。

そして今、TKCのアルコール依存症が悪化しピットインを余儀なくされた今こそ、そのタイミングが訪れたものと思い、ここに発表いたします。

「タケヒサのRYDEEN復帰を正式に承認いたします。」

犯した罪が消えるわけでは御座いません。
一生ついて廻る事になるでしょう、しかしそれを承知で背負う覚悟を持って戻って来た者に、どうかもう一度だけチャンスを与えて頂けないでしょうか?
厳しい意見もあるかとは存じ上げますが、今回のTKCの件含めこれからは再び4人力を合わせ乗り越えていく所存であります。
これからも変わらぬご愛顧ご指導ご鞭撻を頂けましたらこれ以上の幸いは御座いません。
平にご容赦お願い致します。

2019
CAPTAIN RYDEEN aka.Masaaki”koba”Sweden

ARTIST
© FADE IN RECORDS