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『STEPPING ON THE HARD LABO』IIZAWA獄中記
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《文章 TOMONORI IIZAWA/鉄アレイ/BUZZY 大和町BAND/INTEL CORE3i》

〜第十一回 criminal psychology,recollect〜
”未明の暗さ、明星に疾く走らす、窓越しの鉄格子、夜が吹雪く、あぁ素晴らしき哉、吾が懲役人生”
”音楽で世の中が変わるとは単純に思えない。でもたった1曲で人は聴衆の人生を変える事が出来るかもしれない。そこには、まだ未開拓な希望が残されているし畳み掛けるだけの値打ちもある。突然変異の奇跡が待ちわびている。ペン先に自由を!弁証法に遍在を!英雄的行為=ヒロイズム。そして英雄なるものは我の精神の中にしか存在しないのだから、我は英雄を創造しなければならない。waiting for man 俺は誰かを待っている。”
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<タロットについての考察>
『生命の樹』です。生命の樹は”カバラ”と呼ばれるユダヤ教由来の神秘主義の教義を次の様な図(添付1)に表したもの。各円を『セフィラー』、その複数系を『セフィロト』と呼び、10のセフィロトを結ぶ22本の線を『パス』と言う。一神教であるユダヤ教の神のエネルギーが上から順に『ケテル』『コクマー』『ビナー』〜『マルクト』と流れ私達の世界が創られた事を示している。『ケテル』が『冠』と呼ばれるのは『冠』が人の頭の上にあり、」大宇宙との接点になるから。『王国』と呼ばれる『マルクト』は五感を通して知る事のできる肉体のある私達の世界。一方『マルクト』から『ケテル』に向けて、神のエネルギーを逆に辿る事で、神との合一を目指す試みもなされる。瞑想や祈りによってパスを通り『ケテル』に向かう。タロットは、こうした瞑想に使われる事があります。隠秘学思想家エリファス・レヴィがヘブライ語とタロットを結びつけた事が始まり。次の図(添付2)はウェイト版と生命の樹の対応図です。セフィロト『1』は四つのスートの『A』で『2』〜『10』はそれぞれのスートの数。スートとはワンド、ペンタクル、ソード、カップがトランプの様に記された『数札』。大アルカナには0〜21までの番号があり『0愚者』の旅は終わりと始まりを意味するゼロ地点を意味し『Ⅰ魔術師』で意志を持ち『Ⅱ女司祭』で他者を意識し、『Ⅲ女帝』で調和と恵みを得て『Ⅳ皇帝』で安定を築く・・・と続き、『ⅩⅩⅠ世界』で自分の世界を達成するとされ人間の一生のドラマがストーリーとして描かれているとも言われている。
平成25年6月26日だったかな。もう忘れたが、私は逮捕された。前日が高円寺show boatで”東京ホームランセンター企画”の大和町のLIVE明けだった。朝6時頃までお客さんが来ていて、前妻が荷物を取りに引っ越しをする日になっていた。うっかり寝てしまい、起きたら朝10時頃でキッチンの所まで薬対の刑事が8人入っていた。持論チェーンは切断、咄嗟に近くにあった錐を持って立ち向かうが、防刃ベストを着込んだ小太りに『ウソだろ、コイツ、キリで刺す気だ』と一笑され、ガサ状を突きつけられ『ハイ、板橋署。今からガサ入れるから』とあっさり抵抗するのを止め、冷蔵庫に一本だけ残しておいたドンペリを祝賀として飲みたい欲求に駆られた。曰くのカードで、某ライブハウス付近の格安店でウソみたいに箱無しドンペリが2本も切れた。一本は出産祝いであけた。その内、何か祝いがあるだろうと2年の月日が経って眠ったままだったが、今日がその目出度い晴れの日なのだ。実は逮捕されるのは、タロットによって2ヶ月以上も前から分かっていた。内偵が入っているのも、ウタわれているのもタロットによって判明していた。私のホームグラウンドの高円寺に坂口という九星とタロットを編み込んだ占法で占う占い師が居る。コイツの占いにはセンスがあった。私の中で今の所、ほぼ10割だ。タロットの占いで占えない事はなかった。唯、何時何分、日付や時間を正確に特定する事は向かない。タロットのメッセージはインスピレーションで受け取るものでザックリとした事柄を占うのに向いている。例えば自分の気持ちと相手の気持ち。流れをつかむ、過去、現在、未来、現状のままで行ったら未来はどうなるか。イエス・ノーを決めるのも向いている。私は何かトラブルがある事に、重要な決断がある事に坂口に相談して決めていた。占いというよりは情報ソースとして使っていた。例えばこんな事があった。仕事柄、金を持ち逃げされた事も1度や2度ではない。1回の金額は◯◯万円、月で120万円。1回は泣く事が出来ても、さすがに連発すると痛い。坂口のタロットで占うと、焦らないで、もう電話を掛けるのは止めましょう。今日を最後に1回だけ、自分の言う内容のメールを打って下さい。1週間から10日で向こうから連絡があります。何故だとの問いに、ペンタクルのクィーンが正位置で出た。相手は母性愛ある女性ですから、咎めてますから大丈夫です、と。で、本当にその通りになった。ある2人の男が居た。私はどちらも信用はしているが同時に向こうの台所事情が気になっていた。それよってこちらに振られる仕事の内容がメリットのあるものか、実は搾取される立場に回ってしまう恐れがあるからだ。中間に位置する人間は、実はここを良く見極めていかなければ、恐らく大損失をこうむる。今まで貯蓄した財も短期で吹っ飛ぶ。中間卸しの場合、3種、若しくは4種を扱い、ワンクール分を備蓄、そしてもうワンクール全種押さえるだけの資金は欲しい。それは、クォリティの高い品物が出た場合、どんどん購入した方が良い為だ。良いものはダブらせてもハケる、必ずだ。そして相手が現金を欲しがっている場合、現金化したい為、迅速に良質の品物が大量に持ち込まれるケースも多い。その時も物を言うのが手持ちの現金である。私はこれ以上自分の資金を目減りさせたくなかった。そこで坂口に、それぞれ別系列の2人の男、1人は長く仕事の付き合いがあり対等の立場であり、相手も私も享受しているという事がまだ守られていてそれなりの絆も発生していた。もう1人は顔は見知った仲だったが仕事では、始まったばかりで出だしが悪く、暗中模索状態、こちらの内情や手腕を試している様にも思えた。タロットでは後者を取るべきと出た。ここで我が出た。前者への義理もある。急に切る事は出来ない。しかしタロットでは、前者は今後、えらく損失を与えると出て、後者は、これから逆に私の救いになると思いますと。半疑だったが、その流れをみた。見事その通りになった。しかし義理が災いして前者にはFX投資(ギリシャユーロ)に◯十万、歌舞伎町のキャバクラ経営者から◯十万引っ張る名義貸しなどで、結局泣くはめになった。逆に後者、今後私の生活の基盤となりて主軸となしてシノギを展開していく。話を元に戻そう。逮捕される2ヶ月前、先の女から、プッツリと連絡が途絶えた。家にも気配無し。投資していた為、やられたと思った。タロットで糸口を探った。持っていかれ、全てがめくれていると出て私に下されたカードは”吊るされた男”。正位置。身動きが取れず手も足も出ないという意。『飯澤さん、パクられますね。』『いつ頃?』『もうレッドゾーン入ってます。捜査は始まっているんじゃないですか。今夜から体(タイ)かわして下さい。南の方角が吉ですね。南にある知人、その他が適してます。』『でも運命は変えられないんだろ?』『ええ、絶対にパクられます。』『でも、この情報で、体から抜いて処分すれば助かるだろ。』『ええ、そうすれば大丈夫です。』『じゃあ全力でそうすればいい訳で。』『いや、そうできないって出てるんですよ。』『絶対に?』『そう絶対に。』こんな問答を繰り返し、私は手荷物を持ち、その日から南へ逐電した。ドムスタジオにも1週間も寝泊まりした。他の知人宅も転々とした。体から薬物が抜けて1ヶ月近くが経ち、体が緩慢になり、その間ライヴもあり、スタジオもある。疲労はピークに達し、全くの無収入に陥った。逃避行とは金が掛かるもの。湯水の如く出る出費に追い討ちを掛ける如く、マンションの更新が迫っていた。これを機に引っ越そうと思い立ち、荷物をオークションで売り払わなければ、とても新居にとは考えられない。リスクは覚悟だが1度は帰ろうと、戻り体勢を立て直そうと思った。大家に家を出る旨を告げて1ヶ月が経つ。前家賃の部分に食い込んでいた。内偵も2ケ月に及ぶと、気が緩む。気がつくといつもの日常に戻っていた。レッドゾーンの真っ只中、今日は大丈夫だった。今日も何とかなったと。だったら体から抜けよと自分でつぶやくが体が執着して夜を越えられなかった。もう完全に開き直っていた。坂口の言っていた状態はこれか。だがまだ時がある。オークションなど埒がない。リサイクル屋にたたき売り、最小にしサッサと消えなければと明後日、リサイクル屋の引き取り当日、御用となった訳で、ある意味不安と内偵の重圧からの解放された瞬間でもあって、ドンペリで祝いはあながちウソでもない。逮捕されてからは信念を貫き通した。面会に来てくれたカツタが『アレ?面会できんじゃん。』と言っていたが、ガサの時、試験薬が変わった時点で『これ、間違いないね。』と言われて『まぁ、色が変わったならそうなんじゃないの。』と言っただけで所持の接禁は付かないが再逮後付いた。再逮2回。不思議な事に、予行練習してるかの様に自分はカモフラージュ用の外側は洋書になっていて開けると金庫になっている入れ物にワザとらで入れといたのだが一発でそこに手を延ばし他の物は触れる事無く全てを見付けた。『一回見に来て確認してるね。』『大家がさあ、変な事言ったんだよ、1週間前にさ、早く出ろよ、何やってんだよ、逮捕状出てるぞ。』引っ越すから日割り払ってないからだと思ってたけど大家に許可取ってたでしょ?とぼける刑事さん。実は冷蔵庫にアトミックノーザンライト50忘れものしたでしょ。出るもの出たら安心したのかな。日本刀にも目もくれない。何で?『そんなの身が入ってないのいくら研いだって切れないよ。』覚せい剤6g、ホワイトウィドー47g、二プロ12本、求刑4年6ケ月、判決2年8月、通算50日。これはどう思います?安目?高目?有償譲渡は?実は東拘に居る時、遠隔で他人が自分の事を占うというのをやってもらって坂口から手紙が来てました。判決のかなり前から知ってました。求刑の半分に判決はなると。そして懲役は、愛に飢えた、孤独の愛に苦しむと伝えてきました。トラブルは、海沿いの組織の人間に気を付けてと出ました。そして本当にその通りになりました。1回工場変わってますからね。タロットは当たるというよりも『当たってしまう』という表現がふさわしい。肉体という有形の世界ですからアセンションは、そんなに簡単にできるものではなく、ブレない自分を持つ現世を生きながら探求するしかない。占いは占いで現実は現実であるのを忘れたくないので。

〜第十回 獄中の道すがら拾い上げた、路傍の言葉〜

”監獄は社会の縮図である。それも単なる縮図ではなく、その要所要所を強調した縮図である”
(大杉栄・『獄中記』)

新年明けましておめでとう。と、刑務所から年賀状を書いた処、刑務所に居て何がめでたいんだと帰ってから言われたそうで『俺は2度と事務所には年賀状は書かないよ』という話も聞かれるココ月形刑ですが私は5枚きっちり書きました。現代はメールやSNSの進歩、シャバでの年賀状という位置付けは、どの様なものか。最早、格式、社会的儀礼、会社、団体等の利害関係、上下関係、故意に襲ったノスタルジア、家族回帰、大体こんな所でしょうか。親しい人にはメールで済みますから昔の様に敢えて拘る必要も無くなりました。しかし刑務所から出す年賀状はアナログ感がたっぷりと感ぜられ、これも刑務所でしかできない事であると思いとても愉快なものでした。刑務所という所は何もしなければ何もしないまま、そのまま唯何もしないで通り過ぎてしまう所です。だから獄内で前向きで探究心を持って生活する事はとても重要な事です。高速道路のランプの様なもので過ぎてしまえば再び乗る事は、入り口が来るまで待たないといけない。何でも良い。刑務所で出来る事を自分なりに始める事。大切なのは決断のタイミング。悩む時間が一番無駄です。『行くか行かないか』『始めるか止めるか』『面倒臭い事になる』と分かっていても逃げずに正面から受け止める事。それによって最小限が最大限になり、不運から逃げる事は出来ませんが恐れない心を持つ事ができ、不運を上手に消化する事ができる様になります。

”大杉栄は<一犯一語>といって、一回刑務所に入る度に『一つの外国語を習得しようと世界各地の左系国際集会で、その所々での色々な外国語で発言するなど数多くの言語に通じた語学の天才だった”

現実は砂を噛む様な殺伐としたもの。コミュニケーションを通じて付加価値化・演劇化しないと生きていけない。だから分かり合えない人間が分かり合った振りをし『愛が可能であるかの様に』振る舞う。そこまでして生きる事に持論意味はない。しかし『意味ねーよ』とは誰も言わない。皆、分かっているからだ。意味は無いけど、それしかない。それでもその様に振る舞うと何がしかの喜びがあり、それさえあれば人は生きていける、これが『愛のモード』というやつかな。俺達に愛の崇拝が再び呼び込む世界がもう必要じゃないって事を認識してる奴が、どれ位居るだろう?世の中に何百種類と存在する愛に一つも共有できないとしたら?俺は孤独?津波に流されていくだけなら、いっそ結びつけて離れない様にするだけ。

”バンドに入るのを夢見たり、それを実現する為に青春を費やしたりすると、結局の所不幸で落ち込んで満たされない人間になる。絶対に成功しないからね”
(インスピレーション、バート・バカラック”wark on by”)

獄中で禅と瞑想を始めてから1年以上が経つ。毎日行っているのだが、雪が降っている中、窓を全開で冬場は平日20分が良い所だ。免業日は少し長めに40分はやっている。鼻から大きく息を吸って口から大きく吐き出すという呼吸法も伴わせて行っている。精神がリフレッシュされ波動が上がっていく。日々の修練とは改めて驚嘆させられる。瞑想ではイメージが大事である。要はピラミッドの中に自分が座するという事をイメージする。瞼には、ガキの頃育った町の通学路、今は無き土手や丘の草花や、畦道などがハッキリと浮かび上がる。駄菓子に夢中になってた心境まで一気に駆け巡る。マインド・トラベルだ。シャバじゃ絶対にやらない行為だったが、獄中だと出来てしまうというのは、それだけ現在特殊な環境に身を置いているのが実感できる。年が変わる時、気の流れが変わるものも体感した。大晦日では、12:15分までに起きていても良いのだが、私はTVを消して11:57分から瞑想した。時計は無いが窓を開放していた為、空気の流れが速くなり急に冷たくなった瞬間があった。『年が変わったな』そう感じた。月形の自然の山々の中で自然が教えてくれるものもある。では、気とは波動とは何か。それは、場所や、人の思念だ。極悪な波動で具合が悪くなったり、良いバイブレーションに当たり続けていると元気になったり、つまり波動は物質である肉体に作用するという事。鉄アレイのROCKETという曲でブタマンが『要は心の持ち様だって』と歌っている。そう、気の持ちようという事。物理学の『超ひも理論』。物質は原子から出来ていて原子は原子核と電子から成り立つ。原子核は陽子と中性子で出来ていて、この陽子や中性子も、もっと小さなクォークという素粒子から出来ているという考え。そしてその”ひも”は絶えず”振動”している。振動には色々なパターンがあり、その別種の振動によって素粒子の形が決まる。波打ったり、形を歪めたり、回転したり、振動には色々な無数の動きが考えられその波動に対応する素粒子も無限に現われると考えられる。”ひも”の振動の仕方で物質が決まる。つまり、物質は、目に見えない小さな世界で絶えず振動しているという訳。俺達の肉体も例外でなく振動によって成り立つ。だから高い波動や良くないものの低い波動の影響を受けやすい。”ひも”の振動の仕方によって物質自体が変わるのだから、かすかな振動の影響でも作用していくる。水の温度はその水を作っている水の分子がどれだけ激しく動いているかによって決まる。水の分子が激しく動けば動くほど温度は上がる。”ひも”はその水の分子のH2Oを酸素と水素に分け、その酸素なり水素なりの、原子核の中の陽子や中性子をさらに小さくしたクォークの中にある。自分という肉体をどんどん小さく見ていくと、目に見えない一番小さな物質は、どれもが全て絶えず振動している。振動で成り立っている肉体だからこそ、他からの振動の影響を受けやすい。良いパワーが出る高い波動になるべく当たる様にし、調子が悪くなる低い波動は避けるべきと思う。そこで獄内で生活する上で自らの波動を上げる8項努力を考えてみて実践している。これによって、かなり違ってきていると思える。特に単調な生活を強いられる獄中というものは自らに課するテーゼは種子から発芽し育成される。自己と戦っているならば。①愚痴を言わない②羨まない、妬まない③悪口を言わない④人の失敗をザマーミロと思わない⑤失礼な事をしない⑥意地悪しない⑦見返りを求めない⑧自己犠牲。獄中の事は、獄中の奴にしか書けない。それだけは絶対に言い切れる。そして悲しい事に懲役の気持ちは、刑務所に行った奴にしか理解できないのだ。初犯の上に更にDEEPな再犯があり、その上に再犯ロングがある。犯罪者のピラミッドだ。

”自由な市民社会には一つの大きな弱点がある。自由を尊重するが故に、自由をぶち壊す自由をも認めかねない事だ。とすると自由な市民社会そのものが破壊されかねない。自由主義や民主主義には確かにそういう弱点がつきまとう。それがパブリックセキュリティつまり公安問題の難しさに結びつく。非常時においては統治権力は法の枠外に出る事を辞さず、秩序破壊を目論む勢力に断固として対処すべしという。”
(見沢知廉)

同じ工場で働く同囚に物凄く働く人が居る。所謂、人の倍、動くという人だ。この人は決して疲れない。運動の時間も通常以上に運動している。持論、体は引き締まって細い。歳は40代前半だ。問題はそこじゃない。皆、同じ物を食っているのだ。業種によって差はあれど自分達は、飯1400カロリープラス副食だ。これが1回の食事量。因みに12月の月給が¥2,636だった。何が言いたいのかというと作業を倍やろうが普通にやろうが、疲れて腹が減るだけで自分には利は無いはずだった。所が彼は、手を緩めない。刑期もまだ長く残っているというのに。作業が終了になる頃には、ヒザから上があがらなくなるまで限界まで追い込む。何故なんだと俺は完全に訝った。何の楽しみも無い監獄暮らしに更なる苦しみを自ら与えて何があるのかと。懲役とは、如何に苦を楽に転じて生活するのではなかろうかと。そこで俺は本人に問うた。刑期半ばで何でそんなに懸命に懲役を汗だくでやっているんですかと。だって俺がこんなに疲れているのに同じ人間だったら同じ条件だったら嫌でしょうと。答えは俺の予想を上回る精神性の崇高なものだった。『リズムって大事でしょ。作業でも懲役生活にも。刑務所でリズムを失ったら終わり。俺は俺でリズムで生活してんの。自分を殺さない為にも。これが俺のリズム。だって楽しい方が良いじゃん。作業だって、懲役だって。俺、シャバでブルーチェアー(バンドではない方)でトランスのイベントで4つ打ちで12時間位踊ってるから、バンドやってんなら、俺の言ってる事分かるよね。リズムって大事だよね。』目から鱗であった。刑務所という所はキャラクターの濃い人間が多い。しかし、殆どが下世話な俗っぽいパターンが多いと思う。ほぼ、金の事しか頭にない人間か、又は、全く逆の金に全く無縁の無い人達だ。しかし、稀にこういう精神性の高い人も居る。

”AGNOSTIC FRONT 前者に、とらわれないという意”

クエンティン・タランティーノのデビュー作にレザボア・ドッグスという映画がある。そして彼等ギャング達は全員黒ずくめの黒のスーツに黒のタイである。これについて尋ねた所、アメリカのギャング達は直に死ぬから常に死を意識して何時何処で死んでも良い覚悟だという事で喪服として黒のスーツを好んで着ているそうだ。では日本の場合はと、本家本元に尋ねた所、日本の場合は事件(ヤマ)を踏んだ場合、これも何時にその機会か訪ずれるか分からない為、(チャカを弾く手つきをする)全員が黒のスーツを着ているのは誰だか特定されにくくする為であるらしい。そして掛け合いの時は、ノーネクタイで行くか、タイをしていく場合は丁度首の後ろの所にくる部位を切って糸の3〜4本位で繋いでおくらしい。これはヒートアップした場合、引っ張られない様に自動的に切れる様にしとかないと首を絞められるかららしい。その他に背中に人物の刺青を背負わないなど拘りがある様だ。それは、その背の人物像に由来したくない、お前の下には入らないという気概という事らしい。同じアウトローでもお国柄の差、アメリカと日本人の死生観と、日本の銃規制、闇社会の哲学が表れている。

”いずれ夜は開ける 明りを灯せ、孤独である事に大きな意志と意味を感じるべきだ。生きるのだ。歩くのだ。探すのだ。自分に出来る最大限とは何かを。無様に生きるのも悪くない。”

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〜第九回 2015年版 獄中闘争と名を変えた、或いは、荒ぶる情熱、鉄格子の読者レビュー 後編〜

”Don’t think. Feel/考えるな、感じろ”
(ブルース・リー)

『ブルーズ・マガジン』 感電社発行
ISHIYAのコーナーが好きだ。皆、本当に良い顔して仕事してる。仕事してる時の顔って不思議だ。LIVEの顔とは違う柔和な真剣がある。ISHIYA、本人は職人じゃないんだよな。ライター目線に徹せられるから面白いのだな。まあ、ある意味プロではあるが・・・。当たり前の話だが皆、自分の仕事にハートとプライドを持つ。おのずと責任感も生まれる。HARD CORE の職人て、ある域まで達した奴は凄く真面目だと思う。人に因りけりでBANDより大事なのかな。大多数の人はBANDを辞めても生きてはいける。仕事が無くなり収入が無くなれば飯が食われないし守るべき者も養えない。若い時と違って収入源は大事で大きい。その道のプロフェッショナルになる事も若い時からでも決して悪い事ではなく、むしろ歓待すべき事だ。BANDにおいても同じ。無責任な音を出す奴程、今更感は否めないし、理屈を並べてみた所で言葉すら失う。夢は又、夢だ。菊地君の写真も好きだ。被写体に迫り被写体の内面の一瞬を捉え写す。それは、菊地君のあの陰影の強いコントラストに全て現れ出ている。ROCKER達の埋もれた感性を見事に引っ張り出す事に成功した希有な写真家だと思う。ロバート・キャパは戦争に近づき過ぎて死んだ。つまり被写体に近づき過ぎたのだ。菊地君はROCKERに近づいて心はHARD COREだ。写真と音。音と写真。深遠なテーマに思えるが実は単純な事かもしれない。写真は絶対にアートじゃない。それは菊地君が証明してくれると俺はこれからも信じ続ける。このマガジンの支柱は石丸さんの文章だ。この人は福田和也さんの弟子か。余談だが福田さんの”南部の慰安”は最高だった。プロの物書きの石丸さんが何故に今のHARD COREにリンクしたのか。HARD COREの歌詞も文学だ。昔はHARD COREと仕事とは俺達の間でも一つの暗部であり収入を得ていく手段というのは非常に困難なものだった。一部の者を除けばハッキリいってどうでも良かったのだ。時代は変わった。イヤ、実は変わったのは時代ではなくてHARD CORE PUNKS自身なのだ。流れを、自分達の生きる道は自分達で決めていくのだ。これこそプロイテッドの言っているALTERNATIVEであろう。

”この世の中の汚いところを指で、ぐるぐるとかきまぜて、その匂いを嗅ぐ。それがファンクだ”
(ジョージ・クリントン)

『FOLLOW UP』 ディスクユニオン発行
毎月、約1年読んでみて実感したが、今の東京や地方のアンダーグラウンド・ミュージックを読むとしたら、この一冊で充分カバーできる。勿論、これ以外で活動している凄いBANDや演者も沢山存在している。ディスクユニオンは本当は唯の東京の老舗の中古レコード屋だから。それがこんな巨大な企業になってしまうとは恐れ入った。一度でも自主でレコードを出したら中古盤としてユニオンで取り扱われているはず。それ位、根は深くネットワークも保持してる。同じ物を売るにしても、Amazonなんかと較べるものではない。新興勢力に対してユニオンは、育てるという所にも見識もある。でも残念な事に、今や新しい潮流を派生させ、目敏く発見する多大な影響を持つ資本であり巨大なマーケットであるユニオングループは、競争によって新しく生まれた格差に対して完全に追い風を立てているものであり助長している。右も左も分からないインディーズバンドに対し格差原理を覆い隠したまま基本的自由の原理を行使したままというのも罪な様な気もする。競争による格差が生んだ負の調整という方法論が提示されていないばかりかフォローアップすら感ぜられないのは、獄中にて劣等感からくる、ねじけた物の考え方のせいか。見極めて選ぶのは俺達だ。売る側も買う側も。でもこれすら否定する反商、反オーガナイズ主義バンドがそれ以上を掲げてしまうと、じゃあ何で君はバンドをやっているのかという素朴な問いにぶつかる。君は君のやっている事を人に知ってもらいたいのではないのかという事である。昔、ジョー・ストラマーが言っていた。音楽は人に聞いてもらわなければ、やっている意味がないんではないかと。

”1000枚のレコードを聴いている評論家よりも、1枚のレコードを1000回聴いている田舎のキッズの方が、よっぽどHARD COREだ”
(IGGY POP)

『月に吠えらんねえ』  清家雪子   講談社
僕は必ず現在の社会組織、経済組織を破壊しなければならぬと信じている。然し無政府主義は何処までも最後の理想だ。僕は他日、僕の所信の上に立って多少の活動したいと思う。僕は長い間、自分を社会主義者と呼ぶ事を躊躇していたが今ではもう躊躇しない。無論社会主義は最後の理想ではない。人類の社会的理想の結局は無政府主義の外にない。実際家は先づ社会主義者、若しくは国家社会主義者でなくてはならぬ。”安楽を要求するは人間の権利である”僕は今の一切の旧思想、旧制度に不満足だ(明治44年 啄木全集 第7巻)という様な内容が盛り沢山の中原中也、正岡子規、与謝野晶子、北原白秋など明治から太平洋戦争末期までの俳優、文人、文豪などが一挙に登場する不条理な設定の物語の漫画。言葉を拠り所とする人に是非オススメ。映画ソフィーの世界に似ているかも知れない。

“世の中を 何にたとへむ 朝ぼらけ 漕ぎ行く舟の跡の白波”
(沙弥満誓の和歌)
喩えなければならないのならば このはかない人生は小さな舟のようなものだ 今朝の港を渡って この世になんの跡も残さないような

『美は一度限り』   野村秋介
何故か東拘の官本で移送1日前に発見し1日で読んだ。ページをめくると、いきなり野村氏のゴールデン街のとある店で寛ぎ飲んでいる写真で始まる。この写真の野村氏の目が凄く印象的であった。右も左も関係ない男の潔さを感ずる一冊。武士道とは何か、士魂は死なず。昔、民族派の塾頭だった長谷川氏とお話しする機会がありこう仰られていた”我々右翼は、この甘ったるい腐りかけた大地にぶち撒かれるべき塩なのだ”と。

”水晶の夜 クリスタル・ナイト” ユダヤ青年がドイツ高官をテロッたのがきっかけでユダヤ弾圧の嵐が吹いた。転じて、一発のテロルが社会を動かす意
(三沢知廉)

『CRASS』 荻原麻里訳   河出書房新社
俺は、この本を読むまで30年以上もCRASSは、スティーブ・イグノラントがリーダーだと思っていた。実は、Drのペニー・リンボーとジャケコラージュのギーが結成したBANDだ。CRASSが知りたければこの一冊を読めば大体は見当が付く重要本。この本の信憑性を問うには、CRASSを何処までも愛せるかにかかっていると思う。CRASSと言えば俺は女性ボーカルが花形。イヴ・リバティーンだっけ?penisenvyが最高傑作だと思うが、このバンドほど人によって差異が生まれるバンドは類はないだろう。シングルでは、白ジャケの青と赤で例のCRASSマークを模した”ゴッチャ”。何てサイケな曲であろうかと思った。実はCRASSのロゴマークは十字架に蛇が巻き着いている事もこの本で知った。日本の家紋からインスピレーションを得たという。そのロゴマークも型抜きとして発売して自ら地下鉄や駅などにマーキングしていったという事も、後のグラフティ・アートのバンクシーに繋がっていく。ダイアルハウスというドミトリーでメンバー全員で生活するという一風変わったスタイルで運営されていくパンクBANDだ。そしてCRASSはジャムれないという。俺はそこで考えた。あれ程の演奏力の高い曲を録音、発売していながらジャムれないのは、心の問題であって意識がそうさせた事であろうと。それはLIVE前は飲酒は禁止、LIVE演奏後は、ファンからの曲の説明やらで、実はスティーブ・イグノラントが辟易していた事にも触れている。余談だが俺は17年前位にスティーブ・イグノラントに会っている。名前は確かスターレス何とかというもう憶えてもいないがバズコックスのベースと組んでスティーブ・イグノラントがVoで来日したのを、ISHIYAと吉祥寺クレッシェンドまで観に行った。ISHIYAのバイクの運転が調子良く、かなり早く着いてしまい、クレッシェンドの前のガードレールに腰掛け、変な弁髪の外人に、あれがウワサのスティーブ・イグノラントじゃねえのかと目を丸くしてキョロキョロしていた所、普通の英国人の中年が向こうから俺達を見つけ、向こうから声を掛けてきてくれた。”My name is スティーブ・イグノラント。”非常に丁寧な気さくな印象を受けた。こちらも自己紹介をしISHIYAはFORWARDのVoで俺はJUDGEMENTのBassだと伝えた。そうすると彼はグレートと答え、ベジタリアンらしく、その場で腹減ってないか?サンドイッチを食わないかと路上で彼の即席のレタスとチーズのサンドイッチをご馳走になった。実際のライブはどうだったかと言えば、前座のバンドがかなりヘタレで野次りのアジりのしてたら泥酔してしまい、そのスティーブ・イグノラントのBANDが出演した時は酔いもピークに達していて途切れ途切れの記憶しかない。間違いかもしれないがバズコックスのBassが利き腕が逆だった気がしないでもない。しかもライヴ2曲目辺りで超満員のクレッシェンドで他の客と乱闘となり、俺は誤って左ストレートで壁を思いきり殴り、余りの痛さに気持ちが悪くなり骨が折れたかもしれないと独りつぶやきリタイヤ。地上に出て入口の脇に突っ伏すという醜態を見せた。激痛は治らず、階下にいって音楽を聴こうなどという優雅な気持ちは、LIVE終演後まで一度も湧き起こらなかった。ひょっこり戻ってきたISHIYAに事情を話すと大笑いされたが、LIVE自体は凄く良かったという感想を聞いて、悔しさで痛みと悪酔いが増した。酔いで痛みを中和させようと焼酎の赤キャップを一気で呷るなどしてみたが手の甲がみるみる変色していく様な気がした。この後もスティーブ・イグノラントとそのバンドのメンバーと交流を計りたがっている様子のISHIYAに頼み込む様にして帰宅を促している所でプッツリと記憶が無い。CRASSとは全然関係無い話になってしまったが、スティーブ・イグノラントはコンフリクトの連中なんかともつるむ弾けた奴だと印象する。それよりも17年前は客も、FORWARDだろうがJUDGEMENTだろうが気に入らなければ全然殴り返してくるし下手したらこちらが詰め返されてしまう様な気合いの入った客ばかりだったので、やっぱり昔の方が過激で良いなと思う。

『泥棒日記』ジャン・ジュネ、『この人を見よ 自伝集』ニーチェ、『ありきたりの狂気の物語』チャールズ・ブコウスキー、『英霊の聲』三島由紀夫、
スピリチュアル系なら『水は答えを知っている』、音楽系なら『45 The KLF伝』ビル・ドラモンド

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〜第八回 2015年版 獄中闘争と名を変えた、或いは、荒ぶる情熱、鉄格子の読者レビュー 中編〜

 ”23日の昼にふと思った事”
テロルは残酷なだけに美しい。綿密なるアイデア、創造力、緻密なリハーサルを重ねられ、計画、敢行された戦闘行動。WAR ADDICTION。先進国の都市部という、いわば生命線。そこで全員が自爆をもって完遂されるテロリズムは、最早、究極の域に到達してしまった。先進国は強大な軍事力の陰に個人の尊厳に付して『それなりに努力をしている』という日頃の曖昧さに揚げ足を取られ、建前ばかり、今更ながら国の面子ばかり気にしている様である。先進国の面子の前では、テロルで犠牲になった、大国の威信をかけた戦闘では全く関係の無い非戦闘員である市民の命の尊さなどコミュニティにおける『目には目を』の鼓舞の戦争プロバガンダの材料でしかない。

 ”23日の夕刻にふと思った事”
例えば伊藤のコーさんとかJoJo広重さんとか明らかに何か持っている人達の魂や自由な感性とも言うべきモノは、俺逹、音楽をやっている奴等の共有すべき財産であり、とても大事にしなければいけない心だ。そんな事も気付けない奴等のパンクの演者側からのエンターテイメント性など全く求めない。それはオーディエンス、求心者側が、勝手に探し出さなければいけないテーマなのだ。俺が観たいのはリアルで生々しい絵なのだ。パンクミュージック、ハードコアのライヴに於いて総称されるトレンドなど全く無視したインディペンデントな絵に出会うと俺は猛烈に感動し安心し、その夜は、ぐっすりと安眠する事ができた。

 ”11/27(金)に斉藤和義のVTRを観て、ふと思い出した事”
この人リチャード・ヘル&ザ・ヴォイドイズの名ギタリスト、故ロバート・クインの葬儀の時、単身渡米しニューヨークで持論、リチャード・ヘルやルー・リード(まだ生存)、ジェームズ・ホワイト、パティ・スミスやNYパンクの錚々たる顔ぶれの参列者の中に入っていき予定外の『俺も彼のファンだった。想いがある。彼の為に一曲弾かせてくれないか』という、いきなりの飛び入りだが恐らくアコギ一本引っ下げて、はるばる日本から想いのみで駆け着けたという情熱が理解されてロバート・クインに心を込めたであろうレクイエムを奏でて皆の前で歌い魂を送ったそうだ。この逸話を知ったのは、かなり前の事で、彼が今みたいにTVに良く顔を出す前の事だ。故ロバート・クインは言わずもがな所謂パンクロッカーのよくある末路であった。あれだけのギターの名手であり内外ともに実力は知らしめて軌跡を残しているにも関わらず(俺はロバート・クインを最高のギタープレイヤーでパンク界でも十指に入るギタリストだと思っている)時代の流れか仕事は激減し晩年は離婚も経て自殺といえる故意のヘロインの過剰摂取で亡くなった。彼の遺体の側には空になった30包ものヘロインの空パケが散乱していたらしい。彼を救えなかった事を彼の友人達は、彼の死後、強く悼んだらしい。(そんなもん、死んでから考えても後のカーニバルであって、友人達も自分の人生に生き残るのに必死。特にニューヨークなど東京サバンナ以上のものであるであろう。他人に回す余裕など終身宗教殉教者でもない限り、ありはしないのだ。だったら、そんな事は故人の為だの一片たりとも正直思わない方がいい。人間界の自然淘汰によって居なくなったんだと割り切るべきだ。多少の重荷であろうと、その方がよっぽど故人の祝福になるし喜ばしい。)一体、俺は何が言いたいのかと言うと、俺は、この斎藤が嫌いではない。言ってしまえばただの芸能ロックだ。でも少し引っ掛かる所がある。それはコイツ込めて歌っていると感じるフシがある。芸能界ロック野郎には珍しく。日常の断片をありふれた普遍的な誰にでも分かり易い言葉を使って捉えている。旧来のカビ臭い日本のフォークよりもボブ・ディランの反骨の精神が少しあるかと思うのは言い過ぎか。斎藤の”時が経てば”は、故ロバート・クインに捧げられた詩だと勝手にオーバーラップし勝手に解釈した。『人生の全てに疲れたか?時が経てば忘れちゃう事だってあるかもよ』このフレーズはTVに出演しちやほやされながらもコイツの精神の何処かにカタルシスを全面に押し出すだけの勇気が存在し、悲劇的浄化を信念とする拠り所がちらりと窺えた気がした。気がしただけだ!過去のエピソードを思い出しピーンッと来ただけの事。斉藤和義の弾き語りに少しだけ”汚れ”が混じっていると感じるのは俺だけだろうか?又は、獄中に居て音楽に触れなさ過ぎによる錯覚か?別にどちらでもいい。今、そう意識した存在こそ自分の人生で疑い様が無い真実だ。デカルトの『我思う、ゆえに我あり』(コギト・エルゴ・スム)だ。自分の中で湧いた意識の存在は獄中であろうが社会に居てだろうが疑い様が無いし関係無い。

『UNDER COVER SPECIAL EDITION “QUOTATION” 25th ANNIVERSARY』 MATOI PUBLISHING
ファッションブランドUNDER COVERの歴史についての写真集だがデザイナー高橋盾氏、まだ服作りを始める前に(ヴィヴィアン・ウェストウッドがデザインしていた)セディショナリーズ、通称”セッズ”のボンテージ・パンツを初めて手にした時、そこに隠されたエレガンスを垣間見て衝撃を受けたとある。ボンテージ・パンツといえば現在に到るまで、その汎用性が認められ様々なパンクス達に愛されている名品中の一品である。これ程、オリジナルを上回りコピーが出回るパンクス・アイテムも珍しいのではないか。ボンテージ・パンツの多様性は極めて高くハードコア・パンクス達の中でも、アイコン化してしまっている風潮も感ぜられる。結論から言おう。UNDER COVERに見られるレザーパンツやウィメンズ、メンズ問わずBOOTSなど俺は好きである。どのコレクションもエネルギーを感じ負けず劣らずの努力の結実。創作の苦しみを昇華させた、アンダーカバーを通して伝えられる服飾に対する情熱は、並々ならぬものが感ぜられる。2001-02 DECORATED ARMED VOLUNTARY FORCESでのクリアースケルトンのガンベルトに白のレザーパンツには驚嘆した。俺はダークファンタジーよりもストリートから発信され掬い上げられた物が好きだ。2004-05BUT BEAUTIFUL…では心酔していたパティ・スミスのポエトリーリーディングを使用し創作に反映させたとのジャケットやパンツの仕上がりは、あの女の色気より詩人の色気を優先させた様な雰囲気が漂う。詩の世界で生きる詩人の服。性同一性障害。セクシャル・マイノリティが言葉をまとって歩いている。パティ・スミスがそうだと言ってる訳じゃあない。服から感じた事だ。スペース・モンキーとビコーズ・ザ・ナイツが聴こえてくる。ハードコアのファッションに明確な定義はない。素人の俺が偉そうに言うが、俺の周りは人が服を着るのであって、服が人を選ぶのではないのだ。主+客観であり客+主観ではない。しかし、作り手側からすれば逆も又、有りか。となると着る人間の没個性という大変ユニークな難問にぶち当たる。バーミンガムのG・B・Hの初期のLPでのタイトルにHARD COREのスタイルを敢えて決定づけた文句がある。”レザー、スタッズ、麻薬による不摂生の顔のできもの”。高橋氏が何故にジョニー・ロットンに拘ったのか。その時々でインスパイアされたロックをデザインに表している。ジャーマンプログレやTELEVISIONのマーキー・ムーン。ロックの大胆でシンプルな部分に鋭く食い込んでいる。俺の観点は似合ってれば何でも良しとか、自分らしさとかではない。その上に乗っかってくるクレイジーなパンクやハードコアだ。言わばニオイだ。基底のニオイがしないバンドや人に”お疲れさん”と言う必要も無いし、ましてや本心を伝える必要も価値も無いだろう。俺は、パンクやハードコアの皆のステージでの着衣を見るのが好きだ。それは自己顕示の部分で必要なメッセージが潜んでいるからだ。パンク中毒者達は日常においても自分を高めてくれるパンクファッションは大事な要素としていよう。ステージでイタコと化した自分が、ロックンロールアニマルとなり拡がっていくのを夢想しただけでゾクッとくる。それだけに身にまとう服を粗略には扱えない。その人を表現する端緒なのだ。話はガラリと変わるがアンダーカバーの高橋盾氏。俺と同い歳の町こそ違うが同郷の人。若かりし頃、彼は東中学に俺は川内南中学に通う。彼の入学した西高は俺の実家の歩いて数十分の所。あの頃、あんなド田舎で同じ思春期にパンクやハードコアに目覚め胸に秘めたる志に狼煙を挙げていたと考えると胸中にシンパシーを禁じ得ない。俺が14,15歳の頃はDOLLを買うのも通販か東京まで出向いて買うしかなかった時代のド田舎の町の話だ。あの頃、他にもパンクに魅入られた奴が、あの街に居たという事だけでも奇特だ。それ程、ありふれたド田舎だった。あの時代の、あの街にパンクなんてものは影も無かった。原宿のBLACKで買ったコピーのシド・デストロイのTシャツを本町通りで着て歩いているのは俺位のものだと思ってた。俺が14歳、中学生の頃、東京でパンクの服を買える所は限られていた。1983年、昭和58年の話だ。原宿なら狭い時のDEAD END。住宅街のスマッシュ。テント村の1号店のマサミさんがたまに居たジムズ・イン。今は無き原宿プラザの東倫。駅から遠いア・ストア・ロボット。ラフォーレのスウィッチ。渋谷ならラ・モスカ。本当に懐しい。これらの店を流し新宿エジソンでレコードを買い、ウッドストックを経て、高円寺BOYに寄りて田舎へ帰途するという東京TOURの買い物を盆と正月に愉しんでいた。これだけの店を回るとなると朝からの1日コースだから手荷物も中国人並みだった。記憶違いでなければ、高橋氏のやっておられた東京SexPISTOLSを何処かで観ている。俺は、もうその頃CRUCKというHARD COREバンドに在籍しHARD COREの路線に夢中だったので何故に今、ピストルズなのかと不思議に感じた。俺達の周りでは日本のHARD COREの最後の区切りが嵐が、やってこようとしているまさにその時であるが故に他のシーンやジャンルの事など、どうでも良かった。まさか後々、命をかける事になるとは夢々思ってもみなかったのである。20歳前後の頃は、まだ良く実家に帰省していた。東京で同じく生活している地元の女の子に東京SexPISTOLSというBANDをやっていて我が地元出身のジョニオこと高橋盾氏という方がおられる事を聞かされた。そしてデザインを目指しておられる事も。高橋氏はその頃の地元の同世代の中じゃ、ちょっとした有名人であった。あの頃から四半世紀、人生とは斯くの如し事だと実に感慨深いものがある。出発地点は同じであれ、矢の如く過ぎ去りし年月を経て片や服役、片や世界的服飾家である。羨んでいるのではない。人生という実に奇妙な小説に奇なりと全く恐れ入っているのだ。ウサギと亀に倣うなら人生を遊びと考えながらも時流に乗る努力をした者と唯々短絡的かつ衝動的に生きた者の因果の差が、ここに在るというものである。人生に反省などしている猶予など最早残されてはいない。残されているのは確信犯的行動あるのみだ。『あ〜人生失敗したっちゃ。棒に振ったっちゃ』と北九州弁でつぶやいてみても、さほど面白味も何も無い。HARD CORE PUNKとして最後の力を振り絞り死に華を咲かす事が俺の最後の使命だ。同郷の片想いの恋慕として高橋盾氏のアンダーカバーには発展、躍進してもらいたい。パクられる前に在籍していた鉄アレイのLIVEによくGISMの横山さんが遊びに来ていた。『今度、アンダーカバーと一緒にコラボして仕事をする』と言っておられた。その後、俺は獄に処され、それが実現したか知るに値しなかったが、影響のある認知度の高い人というのは、互いに呼応し縁を繋げていく正に針と糸をもってして紡ぐものかと納得、得心に到る。パリといえばファッションの街である。先のパリの同時多発テロで先進国の生の権力が強まっている。see something send something 見たら送る、不審者専用アプリがそれだ。パノプティコン効果によって24時間365日監視されているという意識から自ら好んで規律に従う様になり、いつしか人は社会の矛盾に疑問を持たなくなる。社会に居てフーコーの唱える監獄の誕生だ。そこで俺からのアイデアなのだが世界のあらゆる国々の囚人服とパンクのコラボデザインというのは、どうだろうか。その国を知りたいのなら刑務所を見れば文化水準が分かると言った殺人狂時代の”一人殺せば殺人で万人殺せば英雄”のチャールズ・チャップリンも太鼓判を押す。囚人服は、その国のお土地柄が強烈に反映されているのだ。どうでしょうか高橋さん。なんだか自分でも馬鹿げた事を書いているという錯覚に陥っている感じがバイブレーションとして感じられてきたので、今の話は我が故郷の桐生川か渡良瀬川にでも流すとしよう。特に桐生西校デイリーヤマザキ前辺りの・・・。

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〜第七回 2015年版 獄中闘争と名を変えた、或いは、荒ぶる情熱、鉄格子の読者レビュー 前編〜

ゼロをイチにするって事は、とても大事な事だ。何もしなかったら、何も変わらない。未来を変えたいなら無駄だと思っても始める事。そこで既に、もう答えは出している。闇雲でも何でも良い。小さな一歩。騙されても、理解されなくても、ぶっ倒れても、何度でも立ち上がって、又、始めればいい。言ってるだけじゃ駄目なんだ。行動しなきゃ、ゼロからイチに変えられない。まずは始めなきゃ、何も変わらない。誰かが声を上げなきゃ、何も変わらない。だったら自分が動かなきゃ、世界が変わらない。俺はゼロのままの世界には居たくは無かった。だから本を読んだ。そして沢山学んだ。次は実践の難しさだ。自分らしく生きる事を。躊躇してる時が惜しい。ならば書を捨て、さっさと街へ出ろ。45年も前の教訓が、まだ、生きてるはずだ。文書って不思議だ。虚構と現実が、平気で、罷り通ってる。文学って物凄くアナーキーだ。狂気が平然と、そこに在る。ゼロからイチの哲学。見つけた者勝ちにしとこう。もう俺のモノだ。でも誰にでも分かる事だし、誰へでも手渡せる。御満悦は刑務所の中だけで。2年も3年も、俺、バカみてえ・・・・・だろ?私小説家や詩人達、哲学者達は、ある意味で共犯者だった。その気にさせやがって。バロウズよ、世界を読めだと!もっと高く遠くへ跳べってか?無理だよ。俺を殺す気か!

 ”インスピレーション 裸のランチ”
『死の家の記録』ドフトエフスキー 新潮文庫
ドフトエフスキー自身の4年間の服役体験を元にして書かれたモノ。貴族として投獄された19世紀当時のロシア社会のヒエラルキーが監獄の中で、どの様にして浮き彫りになって身に降り注がれていくかを見事な描写で書かれている。『監獄には、何でも一番でなければ承知できず、何でも知らないとは言わず機知と意志の強さと頭の良さを誇示したがる囚人が何人か居た。この連中の多くは実際に頭の良い意志の強い人々で実際に狙っていたもの、つまり優位と仲間達に対する大きな精神的影響というものを獲得していた。この利口者達は互いの間では、非道く敵視しあう事が多く・・・』      
ドフトエフスキーは1849年にすでに現代の獄徒の内省的、心理的行動パターンを、ものの見事に言い当てている。監獄の処遇上の問題は1849年と比べ格段に向上しシステマティック化されているが囚獄の心理は全く変わっていないのだ。そのドフトエフスキーの審美眼は恐ろしいまでに閉鎖社会を捉えている。シベリアの極東の果ての氷で覆われた物語は重厚なクラスト・ハード・コアを聴く様な趣がある。勝手ながら、JAPANESE HARD COREファン必読の書と位置づけたい。数あるドフトエフスキーの名作の中でも私が推挙するのが①死の家の記録②罪と罰③カラマーゾフの兄弟④地下室の手記という順位になる。他に悪霊が、かなりの評判だが、まだ未読である。皆さんもアレクサンドル・ペトローヴィチに思いを馳せ監獄の気分でも味わってみたらどうか。ドフトエフスキー、病みつきになる事マチガイ無し!

『天國のをりものが 山崎春美著作集1976〜2013』 山崎春美
結論から言います。この人は凄い。文才もあるし、超インテリ。音楽に対する素養や造形が半端じゃなく深い。この人の人脈も然る所ながら吉祥寺マイナーというライヴハウスと言えるのか音楽実験場での事など、この人、盛ってんじゃねえかって位。登場人物も錚錚たる顔ぶれ。確実に、春美さんは、日本のパンクの立役者。この人等の辺りから日本のロックは始まったと言っても過言では無い。この本を読むと70年代後半の恐ろしい時代背景のパワーを感じる。でも何かアレって思うのが、この人のやっていたガセネタっていうBANDのメンバーは後に大学教授になってたり、タコのメンバーは今でもたまにTVに出てる精神科医の香山リカだったり。山崎さん自身も大会社の御曹司だったり。的外れな事言ってたら悪いが、今やパンクとかハードコアをやる人間てのが、すでに分類され社会に迎合されている。ユースカルチャー(この言葉は凄くダサイ)が起こる前だったからかなぁ?オルタナとか起きるのが20年後位だからね、やっぱ昔の方が雑多でカオスだったのかも。山崎さん基本的に、かなりの薬好き。インテリのポン中。今はそうじゃないみたいだけど、ルールードや、T-REX、デビット・ボウイが好きなのも好感が持てる。何でって、俺も全く同じだから。俺の兄貴のコントーションズのJames chance『僕は創造しない。反応するだけ』と、この言葉を読めただけで俺の中に死ぬ覚悟は出来た。面白いの抜粋すると、財団法人じゃがたらのページでアケミさんが『俺っちのことはどうでもいいからよォ〜、それより伊藤コーのこと書いたってくれよォ〜、あいつは凄えんだぜ。ファンも多いしよぉ〜、なにせお人柄がええから』とあるが、江戸アケミさんてこんな喋り方したっけ?春美さん大阪だから、俺のリスペクトする、アウシュビッツ、アルケミーの林さんの事を、『オリジナルINUメンバーだった林とは僕がもう高校卒業しかけてる頃に、まだ中学生でロックマガジンに来てて資料集めを手伝ってくれたりして初々しかった』ってどんだけ古いんじゃ!鈴木いづみや灰野敬二さんとも交流があった様ですし、て事は阿部カオルとも。作家じゃフィリップ・k・ディックが好きと、言う事無し。でも、唯一つだけあるのは、この人ブルジョア目線。スノビッシュていうか、そこが鼻につく。『自由は上からは決して来ない。それは真下から二、三段目に立って諦める事から訪れる宇宙のはず』最後は宇宙人の春のエンディングを。めっちゃ秀逸でっせ。オッちゃんたまらんわ。『生きたくないから 突っ立ってる 食べたくないから ひきずってる 眠れないから 咳き込んでる 死に切れないから 唾を吐く 遊ばないから 突きとばされる やりきれないから 笑ってる 続かないから 壊している 人間だらけの星くず砂漠に どこからも見えない 空中のおまえ。』

『種の起源』 ダーウィン     光文社文庫
寄生獣って漫画は、このダーウィンの理論を使ってる。全ての種にとって有益なものは変異を生じうる事。生存闘争のもとで構造や本能に生じた有益な変異は末代まで保存される。要は、あらゆる種というものは、自然淘汰という絶滅を強いる荒波に常にさらされているのだ。その環境や地域に適応できなかった種には自然淘汰が作用し、その地域に対応できる、別の種に取って変わられる。それらの法則とは、大まかな考えで成長して繁殖する事。遺伝を取り巻く条件、作用と不用による変異性、生存闘争を引き起こし結果、自然淘汰を作用、形質の分岐、改良面で劣る種類の絶滅を強いる高い増加率。つまり自然の闘争から飢餓と死から高貴な目的と思える高等動物の誕生が、結果としてもたらせる。チンパンジーの祖先とヒトの祖先は、およそ500万年前に袂を分かった。現生する生物の中でチンパンジーはヒトに最も近い種ではあるが決してヒトの祖先ではない。言っておくがダーウィンの進化論はDNAが発見される以前のもので、現代の遺伝子工学が発達した時代に当てるものではない。ダーウィンの功績は、あの時代、キリスト教の人間は神が創造したものだという常識の中で異を唱えた事だろう。それでももっと早く発表できる段階まで発見していたのだが糾弾を恐れて学説を訴える事ができなかった。因みにヒトの分類学的位置づけは、動物界、脊索動物門、哺乳網、霊長目、ヒト科、ヒト属、ヒト種となる。進化論は『人は何処から来て、何処へ行くのか』という哲学的な問いにぶち当たる。人間は神に祝福された存在などという宗教観をダーウィンは一切否定している。多神教を信奉する俺と真逆の考えだ。平気で人を殺したり加速度を増す環境破壊にも人間の理性は一体何の為に何処に存在するのかを、自分達のルーツ、進化の起こり方に、その意味を突き詰めている。存在する意味を問う中で虚無に走るなかれ。あらかじめ定められた運命など存在しないと言い切っている。唯神論と真向いから勝負しているので、これはこれで面白い。俺とは真逆の哲学だけど。進化の起こり方は常に偶然と必然に左右され、行方が定まらない。偶然が無限に繰り返された結果として人生は存在するという考え方には荘厳なものがある。ってそうかなぁ?ダーウィンの学説は信奉に足るが、神仏に帰依している俺としては哲学的には合致しない。

『絶対音感』 最相葉月     新潮文庫
パーフェクトピッチとは後天的なものだと知った。つまりは子供の頃のクラッシックなどによる英才教育などだと。柔軟な脳の感覚の時期に刷り込んじゃう訳。和音を使用したのは基本的に、この三和音から始まる。まずドミソ、ドファラ、シレソ、ソシレ。と基本中の基本の和音を覚える。次に変化音、不協和音と徐々に覚える。ピアノは単旋律ではなくハーモニーを奏でる楽器。単音だけでは、唯の振動。JAZZやってる人はパーフェクトピッチを欲しがる人が多いみたいに聞くけど、パンクやハードコアにはどうかな。あって困るものじゃないんだろうけど、下手な奴とは組めないだろうね。楽器の調整が出来ない奴とかさ。だって同じ440ヘルツでも音色によって違うだろうし。細かい事言ったら楽器によっても違うんじゃないの。下手な奴とは、出す音が気持ち悪くて一緒にバンド組めない。凄いのになると日常生活に支障が出る。遠くから来る救急車のサイレンとか。スプーン投げられて何の音?とか。ピアノ弾いてるのが男か女か、日本人かロシア人かも分かるっていうんだから、最初が肝心ってやつで。白鍵8音の黒鍵4音E,F,Fb ,G,G#,A,B,C, Cb D,D#,Eって知ってるわ!

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〜第六回 刑務所でベジタリアンは存在するか、否か。TO FUTURE 09 被曝70年からの未来を読んで〜

今回は、TO FUTURE 09の読後感から、縦横無尽に,あらゆる方向に飛び火させ、まとまりの無い青臭い文章を勝手、気ままに書かせて頂きます。このZINEの印象は反戦という立場に置きながらもそうでない立場の人間達も架空にその場に存在していると仮定、相手の主張も良く咀嚼しこのZINEの主張する所を様々なバンドマン達や、バンドマンではない有識者達のティフェレト(調和)とビナー(理解)を述べ決して、ゴリ押しじゃない現実として危機感として訴えかけてくるのは主宰、編集者のGUY君の平和へのアティチュードと距離感なのかと思ったりする。ノーベル平和賞は原爆被害の名称は失念してしまいましたが候補に上がってましたよね。でもノーベル賞ってどうなのって前から疑問に思ってます。あれは、西欧の、西側の権威の象徴でしかないと思うのは、私の浅学の現れか。選定基準の不透明さ、事由を聞いても、さっぱりです。以前サルトルがこれを受ける事は、この考えに賛同する事になる。個人の行動の一つ一つが全人類に責任を負っていると考えノーベル賞を蹴っている。マンデラ氏の時も、もっと獄中半ばの時に分かっていただろうにと、どうも何かフリーメイソンとかの巨大選考認識機関が絡んでいる気がしてならないのは、獄中にての考え過ぎか。DEEP COUNTの桑原ノブさんの金で戦争、シナリオ、巨大兵器の一文。まさに中東やアフリカはその事だと思います。紛争は、莫大な金が動きます。誰がって?軍需産業界。企業が。湾岸の時だって、アフガンの時だって、フセイン捕らえにイラク攻めた時だって、今、シリアでやってる内戦だって新兵器の実験場でしょう。大国のエゴむき出しで。世界は自ずと、米国とロシアと中国とEUの四極形成されつつある。じゃあ何で、そんなに他国の内戦にテコ入れするのか。一言で言えば金。大国のパワーバランス。中東は地下資源が豊富。中東は確実に掌握しときたい。世界の火薬庫だから。絶対に戦争が無くならない場所だから。最新兵器は、オイルマネーや麻薬密造、あらゆる不正金、アラブのスポンサー達の金で良く売れる。BSのディスカバリーチャンネルのウェポンの番組が毎週やっていたのを観た事ある人も居るでしょう。あれなんかモロです。兵器のプロモート番組。お冠にはテロリストの脅威に対する我が国の対抗手段ですとか謳い文句にしてるけど誰の所に流れるか分からない人殺しの道具には変わりはしない。そのディスカバリーの番組で、連射機関砲のプロモーションで5m位のコンクリートをぶち抜く。2連装式で破壊したい物の用途によって弾の口径が変えられるって。遠隔操作、無人でノートパソコンで全部。ロナルド・レーガンだか何だかの空母や、その他の艦船に何万基配備予定とか観た時、世も末だなと思いました。それが今から4年前の話で、現在ウェアラブル端末です。アメリカで次の大統領選候補やってます。民主党はバイデンとナシ付けて(これも金が動いてるしポストも用意されていると思う)ヒラリーが圧勝の路線でしょう。で、ブッシュの弟は共和党かどっちか忘れたけど苦戦して、結局選挙資金が足りなくて、兄の前大統領のブッシュに泣きついた。そう、この兄、ブッシュの大口の資金スポンサーってのが軍需産業。ノブさんの言う通り、闇のからくり。必ず、政治家の資金や懐に入るという戦争で金が流れているのです。戦争で得た金で、その国のトップになった者は、紛争地帯に兵と最新兵器を繰り込む。クラスター爆弾とか、もう全く理解し難い、いかに大量に効率良く人を殺せるか考え抜かれた兵器が実段階で御披露目される。他国、武装組織から大口注文が入る。軍需産業が肥る。見返りに政治資金と献金として政治家に金をバラ撒く。政治家は軍需産業に不利益な法は不可決とし、有利な道筋を整備してやる。自国でもどんどん軍備をエスカレートさせ最新化していく。大統領や政治家に更に金が入る。次の任期も安泰。政治家を引退した後も貯えた金で自分の一族の者を次の有力政治家候補として押し上げる。紛争地帯、軍需産業、政治家、と負の連鎖は巡る。ここで一番の被害者は誰か。一般市民。女性や子供達。以前、旧ユーゴスラビア、セルビアの民族純化、アルバニア系住民に対しての凄まじいまでの事実を知った。セルビア側が(警察と言っても軍隊)市民バスを襲った。全員殺されていた中に9歳だかの女の子が強姦されて頭を撃ち抜かれていた。今思っても、目の玉が熱くなる程、最悪を感じる。何だよ民族純化って。もう関係なくなってんだろ。奪いたいだけだろ。自分の娘とか、友達の娘とか関係ない。絶対おかしいし狂ってる。でもこれが戦場の日常だと聞く。じゃあ、私自身はどうなのか。戦争には反対だと思う。何故言い切れないか。実は心の何処かで矛盾が拭い切れない。戦闘にロマンなぞ全くない。戦場に残されたものは、ちぎれた腕や、大腸が飛び出した腹部、顔の無い血だらけの死体の山だ。まだ息のある者は叫び声を上げているだろう。そんな場所を好む訳も無く、全ての戦闘は不条理かつ不平等である為今すぐ停戦するべきだと思う。人の命を歯牙にもかけない、いくらでも補填の効く、作戦参謀本部が決めた、御偉方のアホな作戦で無駄死にしていく若い兵士達。今まさに、日本も突入しようとしている、これらの戦闘に着々と準備を始めている。水陸機動団、アメリカ版海兵隊の事。日本版海兵隊3,000人。対ゲリラ部隊。陸上自衛隊、西武方面普通科連隊。東シナ海、南西諸島を見込んだ部隊。じゃあ何が私の心に引っかかっているのか。2人の男である。それは、チェ・ゲバラと山下奉文。完全に青臭い考え方であるのは理解しているのだが、この2人の男の存在が、私を完全に闘いというものに非暴力、反戦という事を言い切れないでいる。2人の人物の詳細はここでは割愛させて頂くが、この2人には何か似る部分がある様な気がする。チェは革命にロマンを持ち込んだ。山下は大和魂を貫き通した。私の中で無知と反戦と建前がぐちゃぐちゃに戦ってる。観た事も無い戦争にその傷跡だけを見てる。将来の日本に、好きな音楽もやれない、LIVEも出来ない、自由に外も歩けない、戒厳令が敷かれた様な未来は望んではいない。ISHIYAの文章を読んで。ISHIYAは戦争法案が強行採決された憤りと平和でいられる事の大事さを懇切丁寧に説明してくれている。反戦という自分の立場もしっかりとした文節に論じられ、言霊すら漂う。その気概と情熱に羨ましくさえある。WARHEAD加藤は急進した様に思う。以前と比べ絞り込めていた。ハッキリとNOと言えるものが見えているのだろう。復興など支援などに自ら足を運び手伝いなどをしたと伝え聞いた。諸々の人生、経験なども文中に深く反映されている様に思えた。他のバンドマンの方達も、自分の言葉で自分の気持ちを、ハッキリと述べられていた。TO FUTURE今年で12年目となるらしいが、平和の拡散を主題とし活動しているGUY君には、種子となりて活かされ私達の世界に希望をもたらして頂きたいと思います。私の身内の70年目を少し語ります。母は長崎県諫早市生まれ。その日はいつもより長く空襲警報が鳴っていた。小高い山寺の山頂で妹と早く家に帰らねばと妹の片方の靴が無いので探していた。その時、物凄い光と音がした。音の方を見たら遠くのお山の向こうが真っ赤に燃えていたそうだ。多分、長崎市だと思う。その後空が真っ暗になって大きなキノコ雲が空を覆った。その後の事は憶えてないらしい。母は今でも生きている。被爆しなっかたのは、長崎と諫早の地理の差が命運を分けたのだろう。何せ飢えていたそうだ。動物も周りの人間も。海が近かったせいで食えるものは何でも採りに行ったそうだ。フジツボ類、海藻類。戦争の記憶なんて大それたものは何もない。唯、飢えてひもじかっただけだそうだ。私の父方のジイさん2人は、若くして兵隊で出征して帰ってこなかった。いわゆる赤紙というやつだ。遺影を見ると多分20代後半で1人は陸軍、もう1人は何だろ緑の軍服だったから海軍かな。何でだろう、嫌そうな顔してなかった。死ぬの分かってたんだろうけど命令だから行くしかなかったんだろうな。バアさんがこんな事言ってたのが一番残ってる。『弾に当たって死んでくれりゃ良いけどな。そうじゃなきゃ、可哀相かろう』この言葉の裏には。南方の最前線に行ったらしいから。今から考えたら無茶苦茶だよ。さっきまで長野で百姓やってた素人にさ。半年かそこらで訓練して小銃持たして最前線飛ばして、向こうには職業軍人、海兵隊のプロ。歯が立つ訳ないよ。でもジイさん達はさ、お国の為って文句言わず散ったんだから、絶対、犬死になんて、私は思いたくない。

 ”VAN! SENSITIVE35 春って季節が、もともと無かった”
夢から覚めて天井を見れば、まだ薄暗し20ワット。此所は霞みか幽玄か。刹那の瞬発。安堵と諦めとの入り混じる意識の混濁。緊張の糸が緩む闇夜のしじま。不自然な我の返り方に、自嘲気味な、今だ慣れない3年目の死に様。諭す者はない。感情も必要ない。楽になりたいなら簡単だ。歯車に。世界共通の表層と深層。早朝の現実で叩き起き、浮遊する魂が骸へ。起動する、手、足、指、関節。人間万歳と三唱する。パンクって何?ロックって何者?恐怖の時代錯誤と試行錯誤を策士によって盲目化され擬人化された集合体に、ぶち込まれると想像すると。やがて、その日は訪れる。
深く人生のジャングルに分け入っていく本質というコンパスは勿ち旅に生き、旅に死ぬ事。それは、まるで映像化され極彩色に彩られた、サイケデリックなマンダラの様である

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〜第五回 塀の中から手向ける言葉の華、VEKTOR サカタへ〜

これを書いてる昨日10/2(金)に花南女史からの手紙で10/8に浜松のサカタが自殺したのを知った。10/8って待てよ、一年も前の事今、知らせてくる訳ないだろうと。恐らく彼女の間違いで手紙の消印が9/30(水)だったので今月の頭にVEKTORのベストを出して直ぐに逝ったと記されていたので未確認ながら憶測で9/8(火)命日と判断させて書かせて頂きます。正直に非常に衝撃でした。本当は今回のSTEPPINGは塀の中のインタビューズ9条安保関連法案を用意していましたが、余りにも驚きと彼への想いの強さに追悼文を書くにしました。彼の死を知る前の9月の半ば頃政治とは無関係の死についての駄文を書き終えました。その頃、彼はとっくにあの世に行っているのであり自分の中に死というものが勝手に浮かび書き、今を持ってしても理解できませんがサカタが言う「世界に偶然は一つも無い」というなれば彼が俺にチャンネルを合わせて書かせたのかなと今は思っております。”輪廻からイメージされる死生観”はサカタの死を知ってからの駄文ではなく死を知らない意識してない時の散文なので何かとても意味深長です。そしてサカタの死を知ってから一語一句変えておりません。
サカタの死を知らせてきた手紙を何度も読み返しました。命を削って作曲していた彼。その陰に脅迫性人格障害というのになっていた彼。現代人を精神病に照らし合わせれば特に過激な音を出してる皆、何かの精神病名に当てられてしまうのではないかと思う。だから理由なんて考える事がナンセンスだと思った。そしたら自然と実感が湧き出ました。「あの野郎、燃え尽きたんだな VEKTORとともに」が、です。悲愴感は全くありません。直感で申すなら「お前はカート・コバーンか」と突っ込みを入れてやりたくなる位です。彼の目の前に、やって来た死という概念を時機到来でサカタが受け入れただけの事。何かセルフプロデュース映画を観た感じに似てます。
それでもこれ書いてる時は体温上昇、耳たぶは真っ赤での北海の北の果てです。ベクターの音源は一回しか聴いた事が無く、スキの無い詰め込んだロックンロールだったと思います。俺はパクられる前ベースを個人練習する上でHARD COREの先に乗っかってくるものは、スカとかレゲエだと確信してそれを意識して励んでいました。コントーションズやペル・ユビュだって最後はレゲエに行き着いてるしCONFLICTだってFINAL CONFLICTというアルバムで物凄いレゲエの曲をプレイしているでしょう。俺は個人の主観を通じてHARD COREの先にぶち込んでやろうと思っていたものがスカとレゲエのリズムでした。自然と行き着いて見据えたものです。スカならスペシャルズのDO THE DOGです。アレ、最高です。PUNKもHARD COREもDRUGもLIFEも元気も泣き笑いも全部入ってます。サカタはベクターの先に何を見据えたのでしょうね。今、ふと考え想います。

 ”輪廻からイメージされる死生観”  9/某日
自分のイメージというのは飽くまで他人が作り上げた、それと、決して合致するものではない。
自分が五感で感じている外の世界に対して抱いているイメージと他者が共有できる領分が多ければ大きい程、発信者にとって好まざるを、この上ない。
自分の中で湧き上がったイメージが忠実に有形無形の熱となって他者と繋がった時はイメージの産物が出来上がる。
大事な事は自分の音と言葉を使って最後まで諦めないでキャンパスに描き切る事。
自分の鏡に写せない手繰り寄せられないVISIONは、所詮ピントが合わない他人の作った言葉でしかないのか。その日に触れた事、全てを一本の糸で繋いでしまえばそれでいい。
当たり前の様に感じている生きているって事は、それぞれに決められてしまっている命の刻限の事。
俗世に身を浮かべているくせに気狂いじみた振りをし超越した振りをして自ら陥っていく。パラドクスの無限に。夜道を隠遁者となりて感情を捨て、人を捨て、世を捨て、不能となりて旅立っていくのか。
幽冥の友人達よ、想像で死を語る無礼に許しを乞う。
死は突然にその生命の頭上に降り注ぎ初めて感じる恐れの衝動かもしれない。

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(命の期限)
全てにおいて 私は至りつきたい
核心そのものまで
仕事や道の探求
心の擾れ(みだれ)において
流れ去った日々の本質まで
それら原因まで
基底まで  根まで
芯まで

絶えず もろもろの運命の
出来事の糸を掴まえながら
生き 考え 感じ 愛し
発見を成就したい          

    ボリス・パルテナーク

俺とサカタとの人生にぴったりの詩。要はこれの為にサカタは命を尽き燃やし、俺はこれの為に生きてこれからも生きる。イリーガルに生きてきたのも全てこれの事。責任転嫁してる訳ではない。偽りなしのさらけ出し人生全開。

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世界の情勢は刻々と変化しております。シリアにおいてロシアの介入ぶりが凄いです。過去、湾岸戦争以来、中東のイニシアチブをアメリカに完全に握られたのが苦い経験である為、ベトナムの二の舞、代理戦争の様相を呈しています。プーチンはイスラム国を潰す事にアメリカと利害は一致していると言及しながら、ロシアの国益に繋がるアサド政権を支持し、どさくさに自由シリア軍を空爆している。一説にはスンニ派の反アサド政権、自由シリア軍はCIAから武器の提供を受けているという話。ウクライナの問題もシカトされオバマは完全にシリアでの外交にプーチンに弱腰を見せた形となった。ではアサド政権が倒れ首都がイスラム国に制圧されれば、それはそれでアメリカにとって更に悪い図式になりかねない。アメリカの同盟国はサウジやトルコです。中東は国境を越え完全に、スンニ派、シーア派の宗派間戦闘に移り激化の一途をたどっている。
プーチンの横顔に映し出されるのは、とても冷徹な非情な顔です。安倍プーチン会談の時の北方領土問題も完全にシカトされ逆にロシアに有益な経済の話、天然ガスをもっと買うのか買わないのか逆ネジを巻かれてしまう始末です。米中首脳会談ではオバマは終始渋い顔。サイバーテロに3000億ドルもの損害が出ている影に中国の存在あり。習も訪米でボーイング社からジャンボ300機購入する一時的な融和を誇示するが互いの距離は全く埋まらず。東シナ海での中国の覇権的行動もオバマにとって全く納得いっていない。
車が渋滞して片手を上げ笑いながら小走りに会談に遅刻してきた安倍を、習は完全に格下に見て訪日なんて当分ありそうもなし。EUも難民であふれ返っている。東欧の協力も得られずメルケルの一人相撲。イスラム教徒を無審査で入国させたら危険でしょう。難民じゃない人達がごまんと混じってます。来年辺りにEUで大きいテロがありそうで心配ですね。
35年前にCRASSという英国のパンクバンドが時のサッチャー政権やフォークランド紛争に対して、今の日本の9条改正反対にピッタリの言葉を残しています。予見的である、その言葉の意味を旗や幟にして今こそ掲げるべきではないですか。パンクスやパンクスを問わずして。FIGHT WAR NOT WAR 戦ヘ!戦争ではなく。若者が運動への参加は意義ある事。でも運動とは唯、練り歩く事では非ず。個が考え考え抜いて意識を持ち、変化していく事。だからどうか面倒になりがちな思考を止めたりしないで下さい。そして疾走し膨らみかけた時程、辺りを良く見渡し要注意して下さい。プロパガンダも似た様に似せて走り膨張しています。

最後にVEKTORサカタルイードへ
“魂よ永遠なれ、夜空の星となりて輝き続けろ!”

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〜第四回 現代刺青諷刺(刺青視姦)〜

人と違う事をやりたい、人と違う自分で居たい、アイデンティティーを追求するには普遍的で、自己主張する。手軽で、何の努力もせず、思い付きで、以前の自分より変化したと思える手段が、首や顔や手の甲までTATOOを施す事である。この効果は非常に強力で四半世紀にかけて、この幻想のトリックに嵌まり込み現実逃避感を強めていく。が、しかし、ひとたび、この夢から目覚めていき出し、この幻想から完全に抜けてしまえば現実という新たなステージが待っているのである。今まで居たイリュージョンの世界のツケを払わせられる様な1円たりともゴマかせない現実世間が人生となって横たわっている。実は最初から、そこに佇んでいたのだけれども、もう映画館から出てしまった人々には、サングラスも色付きレンズの眼鏡も通用しなかったのである。
そこには夢から目覚めた人達の社会的責任追求の足掻きやあくせくが面白い様に見る事ができる。
そして人生に対して要領や頭の悪い奴程、振り幅が大きく大げさに誇張しながら前へ進んでいくのである。そこで幾らか潔い人々らは自ら首を差し出し、ルーレットに自らを賭けていく。その者ら同じトライブとして見なし自らも認識しこれからを生きる事が肝要であると思う。

〜第3回 AUGUSTの獄中モノローグ〜

音と霊性の話ですが、LIVEと波動というものがあります。
波動というものは目に見えるものではありません。しかし、確実に感じることができます。これはLIVEに限らず人や場所、スピリチュアルな存在なども含まれます。演奏やその人が楽器を使う事で発せられる波動のパワーが強いと、その演奏がグルーヴを伴い凄いLIVEという事になります。音楽を長くやっている人なら理解できると思いますが、LIVE中の無の境地、白の空間、WHITE HEAT、シャーマニズム、神降ろしです。イギーポップがストゥージーズ時代に履いていた皮パンが Doorsのジム・モリスンのものだったとか。俺の喉にジム・モリスンが入り込む為とか。イギーポップのモリスン崇拝はさて置き、それ程音楽と精神(霊魂)というのは密接な関係にあると言えます。ステージ上でデカルトの心身二元論を体現しているパンク、ハードコアバンドはなんと多い事か。言葉の表現は違えど確実に、それを意識した音と波動となって感じるのだから、波動というものがいかに大事な事か優れたミュージシャンなら絶対に心の何処かで理解している事です。音楽は目に見えない世界の方が圧倒的に重要です。だからピュアなほど良い。その人物に求められるものは、その対象の純粋さです。私を龍に例えるなら、仄暗い沼の奥底に沈んでもがき苦しんでいたものが、今は、このような文をブロードキャスティング出来る程清らかな沼の辺りまで浮かび住む事が出来ました。自分ではどうしようもない壁や問題にぶつかりました。要領の悪い自分などでは躱せない時、音楽やパンクでは助かりません。今まで積み上げてきたものが崩れそうな絶体絶命の時の武器は、その人の持っている正直な心です。自分に対してどれだけ正直になれるか、ピュアでいられる覚悟があるかでスピリチュアルな運命の波に乗れます。だって今、立っている、その場所だって立ち続けていられるのも奇跡に近い事なのですから。  

 ” WISDOM ”
俺は今まで身の回りに起きた様々な出来事を語る言葉を知らなかった。    
語り継がれるアクションやアクシデントについても詩にする術を知らなかった。
だけど、やっと言葉の力を手に入れる事が出来たんだ。
そう、それは、幾つかのトラブルの経験を経て産まれ備わったんだ。
だから自分と思考の間に立って、もがき苦しむ必要も無くなった。
淡々とリアルに言葉を刻めばそれでいい。
後は永久に、そう、このトラブルの中の歩調の様にEからGからAからBだ。
全て四音、四連だ。
言葉を知った者は強い。
ペンを握った勇者だ。
何者でもあるし何者でもない。
全ての現象についての意味を書き出せ。
鮮明な息吹や生々しい色合いや他人の感情にスパイラルした自分の感情を。
時には涙する悔しさや感動するささやかな喜びについて。
大きな負の船に乗り長き航路を往く者についての、この狂おしい日常を辛辣な言葉に乗せてアナタに届ける。
真に迫る本物の生ってやつがこれさ。
すべては言葉の力。知恵の木。理解した者だけの特権だ。
そして負から正への希望でもある。               
                              
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第2回 獄から見たイスラム国への期待〜

最初に断っておくがインターネットもない獄中で限られた昼休憩の時間の中で、毎日の読売新聞の国際面だけを頼りに食堂の轟音の中で読み解き数冊の関連書籍だけで、
この深淵かつ難題なテーマを書くに語るには全くをもって不勉強であり、無知に等しい自分である事をご容赦させて頂く。
まずは俺はパンクだからどうしてもそこの目線から完全に離れることができない。つまりどういう事かと言うと、イスラム国のアル・バグダディの事を賞賛し肯定しているのである。
俺の中で今や目の離せない存在となったイスラム国、古くはオスマン帝国の第一次大戦の敗戦国となりて英仏によって植民地化された中東の国境枠を新たなものとし、現にイラクのスンニ派主体の地域とシリアのアサド政権が統治できなくなった東部と北東部に面の領地を支配している。しかも財政基盤を持ち、決算書を作成し都市インフラも整備し市場も建設している。イスラム国が近代国家の要件を全て満たそうと試みているのだ。衝撃である。バグダディがカリフ制国家を宣言して一年が経った。そしてラマダーンに入っている今月頭から、それに呼応するかのように中東周辺各地でテロが起こった。これは完全にイスラム国の完全樹立を遠隔地での組織が呼応したと思ってよい。直接繋がりのない組織の合流の表明である。今やブランド化したイスラム国をこれまでの国家権力に対するテロを常套手段としてきたジハード主義とは反対方向のイスラム国の論理に模倣あるいは共鳴しているのである。イスラム国はボゴ・ハラムのような単なる過激派集団に非ず。その証拠に布教を、志願兵の募集、資金調達に最新のバーチャルコミュニティにおけるプロパガンダを駆使して見事な手腕を発揮している。仮に俺がこう思ったとしよう。養う家族もなく無頼な毎日を送り、薬物で刑務所を出たり入ったりする内に、音楽を通じて思想傾倒してラディカルに目覚め、このままの人生では埒があかない。老いていく前に冴えないバンド生活に見切りをつけ、日本の芸能界主体の消費文化に別れを告げ、一念発起して20時間後トルコ経由でシリアの志願兵窓口へ旅立っていた。有り得ない話ではないのである。インターネットを使ったコミュニケーション術は広報的にも社会で疎外感を感じている人間を、いかにも魅了する存在なのである。ハードコアのシーンでも特にイスラム国の現状に関心を示し活動している者もいると思う。中東での欧米の、特に米国の一極支配を崩しつつオバマ政権の中東への及び腰、あくまで戦闘は目的とせず練兵のための軍事顧問団に留めるとし、同盟国の対処能力を向上させるといった原則を示さした事はイスラム国の台頭の影響以外何者でもないのであって、シャリア遵守宗教国家としての成立の表れだろう。仮に俺が全ての試練をパスしムスリム改宗しイスラム国に忠誠を誓ったとしても、対立宗派の首を落としサッカーボールとする事を果たしてできるか。最近良く思うのだが秋葉原で16人以上殺傷して死刑判決を受けた名前は忘れたが眼鏡を掛けた若き男性。彼なんかはエネルギーの爆発させる方向を完全に間違えてるなと思う。負のエネルギーだが目的意識をしっかりと持ち場所が中東の紛争地帯であれば英雄になれたかもしれない。日本じゃ死刑だけれども。だから武装集団が刑務所を襲撃する記事も、もちろん自分の所のメンバーの奪還も含まれるのだろうが人員強化という利にもなっていると思われる。イスラム国の一日の平均収入が約10億円らしい。ギリシャに聞かせたい。戦略的資源の制圧から得た収入である。身代金ビジネス、油田からの原油の密輸、密輸先に先進国が含まれるのが笑ってしまいます。使用している銃火器もイラク正規軍スンニ派から押収したアメリカ製も多くあるという。アラブスは単一の国家にまとまれず複数に分裂して独立する。他方で中東の4つの国に少数派として住むクルドスは一つも国家を得られなかった。その事が現在まで中東の混乱の要因となっている。とは言ってもクルド人はイスラム国の攻勢に立ち向かうクルド民兵がフリーダムファイターとして脚光を浴びている。この恐ろしく強兵な理由はクルド魂、クルド人の間に独立の志があるのだろう。そこが刺激され戦闘において強さを示しているのだろう。アラブの春は失敗だがイスラム国は成功と俺は見ている。市民社会に共有されるイスラム国を理解できるダービクなどの情報ソースも忘れてはならない。

参考文献 「イスラム国 テロリストが国家をつくる時 ロレッタ・ナポリオー二」「池上彰が読むイスラム世界 池上彰」「イスラム国の衝撃 池内恵」

第1回〜DISCLOSE KAWAKAMIに捧げるモノローグ〜

飽くまで俺が獄で感じ思った事を、赤裸々かつ、ざっくばらんに綴った文であり、友人の晃や汚名ランドに対しての独白、言わば、独り言形式です。月一の全12回を予定しています。よろしくです。

今日は、昨日夕食に出たコーヒーパックにより、眠れず、まだ暗い内から起きてしまい、コーヒー飲んだくらいで眠れなくなるなんて懲役ってなんて因果な体なんだと思う始末、情けねえなー。
狙って死んだ川上に合掌するのも変かと思いつつも本日6月6日6時のタイミングを見計らいつつ、手を合わせ目をつぶった。
アースダム店長、向井から送られてきたパンフにKAWAKAMI FOREVER 2015 のフライヤーを見た。NOISEと黒魔術とは恐れ入りました。極めつくしてると思います。
川上とは会話した記憶が一度しかない。そう!俺はこの人に死んでから興味を持ち惹かれていったんだ。この文章を書いている6月6日(土)は彼の命日でもありシャバじゃ追悼ライブが行われる。
俺は、数々の追悼に出演したが、ずっと、その意味と意義を考えてきた。その人物が死んだ日に集まって音を出す意味を・・・。
多分、当たり前の事のように、川上の凄さに食らっていた聴者がシンボリック化してよりイコン化、皆の中で偶像化する。そして世界的にDISCLOSEがロゴとともにブランドの象徴にもなる。
それは皮肉な事に比例していく。本人がいないことだし一方通行の如く進んでいく。フェイドアウトし消えていく事があっても崩れる事は決してない。積み重なっていく事はあっても再構築される事はないだろう。
実際、圧倒的なNOISEを出していたという評を聞くし、この写真から見るバンドマンにしては珍しい程、呪術的センスもうかがえる。晩年は彫り師だったらしいからTATTOOのセンスも確信犯的なものだったように思う。
人間が6月6日6時に呪術的に死すという事を現実の元に可能にしてしまった事も寓話性を帯びている。しかしひとつ聞きたい事がある。川上よ、今夜そっと俺だけに教えてくれないか?
命と引き換えにお前にとって最高のステータスDISCHARGEを産んだ脈々と流れ系譜するハードコアシーンに一体どんな呪を施していったんだい?俺たちに半世紀は消えないアルファベットを刻んでいったんだな。
獄の夜、静かに眠り落ちる前、いつも5分だけ考え、祈る。楽になりたくないし、生きてることはいつか来る死を自覚する事だと。あの世の獄とこの世の獄で生きている俺、お前のいる居場所からなら、今の俺の場所は丸見えだろう。
合図は鉄格子を6回鳴らせ!北の大地からKAWAKAMIの魂よFOREVER!         

 今月のお勧め本。
見沢知廉の三本柱『天皇ごっこ』『囚人狂時代』『調律の帝国』です。
この三冊は見沢文学の血と涙の潮がちりばめられた作品です。特に『天皇ごっこ』の既決獄中にて新日本文学賞を受賞した傑作。それがどれだけ大変な作業か同じく獄を味わってる俺にはよく分かる。
永山則夫はあくまで未決での受賞だから。右翼左翼関係なく全ハードコアパンクス必読の書だと俺は思う。三島を見たか、二・二六の磯辺浅一を見たか、それとも文学者の宿命をしょって文筆の灯火が消えてしまったのか。太宰、川端、芥川の様に。
浅学、浅才な俺の頭じゃいくら考えても分からないな。シャバに出たら藤本修羅さんにお尋ねしよう。
業界じゃ脱退となっているが正式ではないらいしいので表記させていただく(鉄アレイ)。友よ、ワイルドサイドを歩け!急がば回れだ。
最後は今の俺の心の師、野村秋介先生から『俺に是非を説くな 激しき雪が好き』          
                                     草々
(文・IIZAWA TOMONORI / 鉄アレイ/ BUZZY大和町BAND / INTEL CORE3i)


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